COLUMN
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アーカイヴ



 

Design History: グラフィック集団第1回展

2016.07.06


解説

『アイデア』4号(1954年1月1日発行)p60-65「グラフィック集団第1回展」紹介記事を掲載する。出展者はグラフィック集団会員(伊藤幸作、大辻清司、辻彩子、浜田浜雄、樋口忠男、土方健一、八木治)の他、伊藤憲治、亀倉雄策も参加。

展覧会図録表紙

グラフィック集団第1回展

1953年10月13日〜18日
於銀座松屋8階

この集団展に寄せて、美術批評家、滝口修造氏は、次の言葉を贈つています。“現在の宣伝美術の問題は、いろいろ山積していますが、まず、作家としての独創力の向上ということと、正しい社会化という二つのことがあげられるでしょう。この二つは、お互いに密着した要素であるのに、藝術の従来のありかたからして、とかく分裂する傾向にあります。後の場合の社会化ということは、すぐれたデザインが、最も効力を発揮する社会の条件をつくることで、そのためには作家の独創は孤立したり、浮き上つたりしたものではならないわけです。これは、新しい社会藝術にとつて、何よりも大切なことで、この意味で「グラフィック集団」は、単に芸術家の寄り合い世帯でなく、有機的な共働ユニットとしての機能を発揮してほしいと思います。幸いに、スポンサー諸氏が、理解在る協力を惜しまれなかつたことは心強い限りです。デザインの発展は、こうした誠意ある協力をほかにしては考えられないからです。”
第1回の、このグラフィック集団展の試みは、7人の、それぞれ製作分野の異つた人たち、つまりグラフィック・デザイナー、フォトグラファー、ペインター、アーティストが、一つのテーマに取組んで、その持場々々の角度から、それを追求した有機的な協同作品だけに、今までに無い新しい分野への開拓である。このことは、今日大きな宿題になつているアート・ディレクターの問題を、写真という媒体を通して発言していると云つてもいい。私が、この作品展を見て感じたことを率直に述べれば、新しい分野への意欲、技術的な神経には共感と新鮮さを感じつつも、一点、風のように吹き抜ける空漠さを、どうすることもできないのだ。何故だろう。それはスポンサーの名称が、作品毎に、ただつけられているという印象が強かつたからだろう。言換れば、作品と広告商品との間を吹き抜けている風である。集団の目的が野心的なだけに、尚一層せつじつに感じられたようである。第一回展というハンデキャップは計算に入れながらも。広告にも、宣伝にも、その訴えようとする意図が探られ、掘られてアイデアという形に凝結される。それが声明である。これが可能な技術の限りで統一され表現されて始めて目的が達せられる。その大切な中心点の掴み出し方が弱いので、せつかくの協動作品がここで散漫にならざるを得ない。そのカギを握るディレクターとは、スポンサー作家の間に立つてその風穴をふさぐ役目なのであろう。第2回展に期待したい。(宮山峻)

小西六写真工業・浜田浜雄/土方健一
小西六写真工業・浜田浜雄/土方健一

沖電気・伊藤幸作/大辻清司
沖電気・伊藤幸作/大辻清司

ライオン歯磨・浜田浜雄/樋口忠男
ライオン歯磨・浜田浜雄/樋口忠男

日本航空・亀倉雄策/八木治
日本航空・亀倉雄策/八木治