COLUMN
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アーカイヴ



 

Design History: 橋

2016.07.06


解説

『アイデア』1号(1953年7月1日発行)p82「橋」を掲載する。いわゆる「創刊のことば」である。宮山峻は『アイデア』初代編集長。

橋(Bridge)

宮山峻

以前「広告界」を10年間編集した。休刊して、今日まで12年経った。そして、今度の「アイデア」の創刊となつた。
宣伝、広告の世界は、最近、著しい活況をみせて来た。外国の参考資料が自由に入つてくる。海外旅行者の実際の見聞が伝えられる。そうしたことで、びしびし刺戟される。したがって、仕事の質も、目に見えてよくなつて来た。
一方では、諸外国から、日本の商業美術や宣伝に関した資料を求めてくる。こんなことは、今までに例のなかつたことで、広告人や作家にとって世界的に門戸が開放されたわけである。
われわれのこれからの仕事は、諸外国と肩をならべても、けっして劣らない作品を提供し、彼らが求めてやまないものを与えることである。日本に対する関心が高まっていることは事実だが、その中心が何処にあるかを、よく検討することだ。その国々によって、民情も風俗も性格もちがう。そしてお互に、他国に求めるものは、その国の持つ特徴である。殊に、広告や宣伝美術の対照は、その国の人々である。大衆が受けいれる新しい感覚が、作品を決めるのだから、これを通じて、その国のいちばん新しい姿を掴むことができる。
しかし、日本という国は不思議なところで、生活のありかたが、まるきり和と洋の二つの面で縦断されている。
畳に坐つて、トーストとコーヒーを飲み、洋服を着て御茶漬とたくあんがなければ日が明けない。その比重は別として、私たちの生活は、いつまでも和と洋の中間を行くものであろう。だから、広告の問題でも、和洋二本建でいく宿命を持つ。しかし、和、必しも古さを意味しない。むしろ古い酒が新しい器にもられてこそ、新しい日本の美が、対内的に、対外的に均等のウエイトを持つだろうし、そうあるべきなのである。
私は、新しい日本の持つ最善のものを外国に紹介したい。そして、この雑誌は、その「橋」になるべきだろう。宣伝、広告は国民の生活に根をおろした大きな芸術である。芸術に、ここからは君の領分、ここからは俺の領域と限界はつけられないだろう。読者の皆さんと手を組んで、大きく胸をはつて、この橋を渡ろうではありませんか。